ブロークバックマウンテンは夜勤明けに見るべき映画ではないが、素晴らしい映画である。
映画を観た。
ブロークバックマウンテン(2005)
まえおき
映画について話す前に、少し前置きの話をしたいと思う。
ブロークバックマウンテンは夜勤明けに見るべき映画ではないが、素晴らしい映画である
公開当初は「ゲイ・カウボーイ・ムービー」と評されたりもしたが、監督のアン・リー自身この映画を「普遍的なラブストーリー」と強調しているように、そのテーマが観客に広く受け入れられ、低予算で作られたにもかかわらず、アメリカ国内外で記録的な評価と興行収入をもたらした。-ブロークバック・マウンテン - Wikipedia
監督が強調したように「普遍的なラブストーリー」だ。決してハッピーエンドとは言えないけれど。どんなに愛し合っていようが価値観が噛み合わない瞬間とか、人間がそこに二人いれば誰にでも起こりうることだ。そういうありきたりなもどかしさが描写されていた。「社会的な性役割を果たさなければならない」という自己の固定観念や周囲からのプレッシャー、価値観の相違、親として果たしたいこと、個人として果たしたいこと。そういう普遍性に、60年代のアメリカで同性同士で愛し合うことによって無条件で背負わされる理不尽なリスクが上乗せされる。それらは、現代よりもさらに濃く、あからさまだ。観ている方も苦しい。苦しいんだけれど嫌いになれなくて、画面を見続けてしまう。そんな感覚を映画で味わうのは久々だった。
美しく純粋なばかりではいられなくて、不格好に傷ついて、不器用に傷つけて、それでも他者と繋がりを持つ。それが人間であるということなんだろうと思う。
さいごに
現在LGBTQ映画と呼ばれている映画たち(そのほとんどはラブストーリー)が『"セクシュアルマイノリティーの恋愛が"題材だから』と言う理由で、ストレートの恋愛を描く"ラブストーリー”と別のものとして扱われる機会がまだまだ多い。あらゆる恋愛の物語が『ラブストーリー』として語られる日は、いつになるだろう。LGBTQ映画という呼称すら過去のものになる時代が、いつか来るのだろうか。私が生きているうちにそんな世界を体験できるのかもわからない。ブロークバックマウンテンは、ジャックとイニスは、"多様な恋愛模様や人生模様があるこの世界の一部分を切り取った、そのなかのたまたまひとつ"として描かれた。そういうフィクションがこれからももっと増えていけばいい。
私は、ハッピーエンドや勧善懲悪のストーリーをのみ摂取するだけでは生きてはいけない。ポップコーン映画的な純度の高いエンターテイメント作品を無邪気に楽しみたいことはもちろんある。でもそれだけではだめなのだ。
私には、現実や時代や他者と向き合うためのチューナーとなってくれる作品が必要だ。そしてその役目を負ってくれる作品たちは、5年後、10年後に再度鑑賞した時、また新しい発見をもたらしてくれる。ブロークバックマウンテンは間違いなくその役目をまかせたくなる映画だ。数年後、再見した時、私は何を思うだろうか。